長野県眼科医会の紹介

長野県眼科医会の歩み

信濃眼科同人会(1949年発会)を経て長野県眼科医会(1952年創立)になってから早や55年になります。先の大戦が終わったあとの混乱と貧困に少し落ち着きと明るさが見え始めた頃、私どもの先人は県内在住の眼科医による、患者さんの病気についての勉強と情報の吸収(眼科学校医の問題を含む)の会を創りました。この勉強の会の集談会は年4〜5回開催され今日まで220回以上を数えております。

1959年に日本に皆保険制度が出来て患者さんとの対応に大きな変化がやってきて、医学の他にこの健康保険制度についての勉強も十分にしなければならなくなりました。

当時私どもは、日本眼科医会(日眼医)の下部組織でありましたが、1965年この日眼医にブロック制が出来て関東甲信越ブロックに属することになり、今日までこのブロックの打ち合わせ会や2日間にわたる持ち回りの学会なども担当してまいりました。1970年頃の農薬による学童の目の障害所謂「佐久の奇病」?の時は県眼科医会が一丸となり対応いたしました。

更に1987年には、かつてないほどに目を酷使する社会になって来ていることから、眼鏡、コンタクトレンズなども含めて国民の目の健康について警告を発して行政に対処を協力に求めるために、日眼医が法人化されて私どもはその下部組織の長野県支部となりました。これにより眼科医療についての全国的な眼科医の話し合いの場が確立されました。

現在は会員自身の眼科専門医としての勉強会でもある集談会をはじめとして、三歳児検診、学校検診、色覚の問題、コンタクトレンズ障害問題、目の愛護デー、緑内障検診、社保・国保審査員の推薦、眼科スタッフ講習会、医療機器販売等管理者研修会など、眼科医療に関係のある多くの仕事を診療とのかかわりの中で行っております。

3代目会長 三村 昭平